1920年渡邉幸三郎が渡幸米穀店として創業。第二次世界大戦、仙台空襲の住宅(材木)需要ブームに乗り事業を拡大し、塩釜港石巻港に輸入材木の製材工場を作り販路を宮城県はもとより福島県・山形県に広げた。寒河江市に営業所を設け、仙台駅東口、宮町、幸町に営業所兼工場を設置。名古屋港にも工場地を求めた。併せて、採石業にも着手し大倉砕石工場、高館工場を有し、採石を建設業界に供給した。
不動産事業においては、仙台市北西部に位置する北山・山手町、仙台市北東部の清水沼に宅地造成し分譲した。同じく栗生地区の宅地造成により土地を十数か所取得した。仙台市大梶の官地の払い下げを受け、宮城県営住宅、仙台市営住宅、凸版印刷株式会社等に分譲地を売却した。同地に渡幸株式会社製材工場を設置し、現在の幸町の地名の由来となった。カナダ・アメリカに原木を直接買い付けし、渡幸専用船の「海王丸」で直接外材を輸入した。仙台北西部に位置する愛子地区に13万坪の土地を求め、広瀬川に渡幸大橋を建設し、有料老人ホームを企画し、温泉3か所を掘削した。
昭和58年材木販売業の不振の折り、不動産資産運用業務にシフトし、渡幸ベルメゾン幸町を建設した。同地区に和風レストラン丸松と電気量販店庄子電機の店舗を建設し、以後不動産賃貸業を行う。同じく、仙台市大和町にステーキハウスあさくまを建築賃貸する。これらを皮切りに賃貸住宅として渡幸ベルメゾンを仙台エリアに建設する。ペットと住めるマンションを仙台に初めて導入し、動物と一緒に暮らせるマンション仕様の建設をはじめる。
現在、マンション・アパート19棟、流通店舗4店、太陽光発電用地等25物件を有する。令和6年4月本社社屋ビルを仙台市若林区東七番丁に13階建てを着工した。時代のニーズにこたえる賃貸事業を展開し、絶えずマンション居住者に快適な環境を提供することに留意し不動産賃貸管理事業を行っている。
社長経歴等情報
渡邉和幸(代表取締役)
宮城県仙台市生まれ
- 日本大学大学院 文学研究科 社会学専攻 博士前期課程 修了
仙台中法人会理事、仙台商工会議所不動産部会常任委員、仙台光のページェント実行委員長 (1998年‐2000年)
全国法人会総連合会長表彰
令和3年 賃貸不動産経営管理士
会社情報
社名 | 渡幸株式会社 |
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住所 | 宮城県仙台市若林区東7番丁22 |
電話番号 | 022‐266‐1458 |
創業年 | 1920年 |